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2007年5月

2007年5月25日 (金)

忙しさが判断を鈍らせた(言い訳)

ここんとこ、お尻に火がついちゃってます。
(↑なんとなく、この表現がかわいくって好き。感じが出てる)
 
 
 
とゆうのも、26日に父の四十九日を迎えるため、その準備で
私も母も相変わらず大わらわ。
ちっとも、喪中でしんみりしてるヒマなんてない。
ウチは、無宗教・無信心なので、葬儀も法要も手前味噌。
 
今回もお坊さんを呼ばず、我が家で親戚を迎え、お昼ご飯を
食べながらおしゃべりをして済ますことに。
本来ならば、四十九日で納骨するんだけど、生前に父は
冗談まじりにだけど
 
 
 
「ボクの骨は、あたり鉢で細かくして庭にでもまいといて」
 
 
 
と言っていました。
半分本気、半分冗談だったんじゃないかな、と思います。
私の父は三男坊の末っ子なんだけど、もし、本家のお墓に入ると
したらウチからは遠いので、母がお参りに行くのも年々 大変に
なるだろうし、お墓の管理も我が子の代くらいまではしてくれても、
その後が続かないだろう、とのことでした。
 
母も、私や兄達も、父の言うとおりだと思うし、もっと身近にいて
ほしいので、このまま1年は我が家にいてもらおう、その後は
父が旅先で気に入ったと行っていた場所に散骨してこよう、と
いうことになりました。
 
 
 
が。
 
 
 
これを、四十九日の時に、本家の(デリカシーのない)叔父さんに
説明して了解してもらわないといけない。
うーん。なんて言うかなぁ。
あんまり、母を困らせないで欲しいんだけど。
弔問に訪れてくれた父の友人達は、このプランをとても喜んで
くれたし、そうして欲しいと向こうから言ってくる人もいたほど。
でも、叔父さんだって父の兄として、思うところもあるだろうから
邪険にはできないしね。
賛成してくれたらいいんだけどな。
 
 
 
 
 
 
そんな気がかりもあるんだけど、それよりなにより、家の準備が
いまだに整わない。
父が入院して忙しくなり、家の中がメチャクチャになったついでに
模様替えやら修繕やらを始めたら、収拾がつかなくなっちゃった。
カーペットやふすまの張り替え、カーテンの縫製、庭木の手入れ、
家具の買い替え、父の写真の整理、などなどなど。
カーペットを剥がして張り替えてる時に、弔問客が来ちゃったり
するので、また古いのを張り直して誤魔化したりしてたので、
作業がいっこうに進まない。
連日、午前3時頃まで夜なべしてるんだけど(昼間はユキの妨害
工作により進展せず)、果たして、土曜日までに間に合うのか…。
 
 
 
そんな中。
 
 
 
ユキは隔日ペースで耳鼻科通い。(←これも時間食うのよね~)
立派な「化膿性中耳炎」になってしまいました。
かゆくて掻いてしまうので、外耳まで膿と出血でエライことに。
老先生からは
 
 
 
「治るまでお風呂はダメね。お尻だけ洗ってやって」
 
 
 
と言われたので、その通りにしていたら、頭をかきむしるように
なってしまいました。(髪の毛を抜いてしまう勢い)
もともと寝汗がすごいので、洗ってやってないこともあって、
かゆいのかもしれない。
ただでさえ、忙しい&耳が心配&乾燥肌で寝不足気味なのに、
これ以上わずらわされたくないなぁ。
 
 
 
 
  
…いっそのこと、やっちまうか? キラーン!
 
 
 
 
 
てことで、丸坊主 確定!
夏は坊主もいいっしょ!
四十九日でお坊さんを呼ばない代わりに、ユキに小坊主に
なってもらうってのもタイムリーだし!(←意味不明)
 
ハサミで適当にザク切りし、バリカンで剃ってみました。
ユキは怖がりもせず、むしろ興味津々でバリカンに頭をこすり
つけてくるのでマダラ模様に。。。 
 
 
 
 
Dsc02006  
ビフォアー。
 
 
 
Dsc02038
アフター。
 
 
 
 
 
お、お地蔵様!?
夜中、グズるユキに起こされて、寝ぼけまなこで見ると本気で
ビックリしちゃいます。
暗がりの中、グズって顔をしかめてる坊主頭。
我が子なのに…
 
 
 
 
 
Body01_2
「子泣きじじい」に見える!
わりと…本気でかわいくない。。。
 
 
 
 
 

ちなみに。
昼間のユキは、
 
 
 
 
 
4_sinagawa_1
品川 祐(もちろん左)に見える!
かなりキテる。(この写真もヒドイが)
 
 
 
本人は、遊んでる途中で頭を触ったり、鏡を見て不思議そうな
顔をしたりしてるけど、わりと気に入ってる様子。
でも…見た目が。。。
やばいな~。
早く髪の毛生えないかなぁ。大汗。
 
 
 
 

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2007年5月18日 (金)

息抜き

今日は久しぶりにオフ会でした。
 
 
そお言えば、母子ともに2ヶ月ほど、遊びに出ていなかった。
ユキは、飼い猫と遊んだり(いじめに近い)、たまにお向かいの
兄妹と遊んでもらったりしていたけど、やっぱりスタミナが
ありあまっていそう。
だって、最近、おヘソが出てきたの。
大泣きした訳でもなく、お便秘でもないので、肥満が原因?
…臨月?
…メタボ?
 
 
 
 
 
とゆうことで、久しぶりに羽根を伸ばしてきました☆
 
 
 
 
 
9組のママ&キッズが集まって、ランチとおしゃべり。
その後、キッズスペースに移動して放牧。
 
あぁ~。
久しぶりに沢山しゃべったなぁ。
若い女子が集まると、華やかで楽しくて気持ちがいいね。
こども達が元気にチョロチョロと遊んでいるのを見てるのは、
危なかっしいこともあるけど面白くていいね。
ユキも、満喫してくれたご様子でした。
 
 
 
 
 
その後、いったんウチへ帰り昼寝をさせた後、今度は皮膚科へ
行ってきました。
最近、夜中に痒くて起きてしまうユキさん。
お腹やら背中が、サメ肌のようになってしまいました。
皮膚科は1月以来。
 
 
 
なのに、それなのに、またもや車の中で絶叫!
 
 

えー!まさか道順を覚えてるの!?
なにか、ヤバイ雰囲気を感じとるのかしら?
診察とお会計にかかった1時間、ユキの絶叫はとまることもなく
他の患者さんのこどもに「うるさいよー」と怒られてしまいました。
ごめんねぇ。
おばちゃん、このサイレンの止め方が分かんないのよ。
病院を出るまでは、絶対に泣きやまないからねぇ。
まいったな。
明日は、また耳鼻科なのに。。。
 
 
 
 
 
そうそう。
ユキは頭からの寝汗がすごくて、毎朝、布団にシミを作るほど。
今日のオフ会で久しぶりにあった、がっつさんの息子くんが
丸坊主になっていて、すっごくかわいかった!
頭のカタチがいいから似合ってるんだよね~。
ユキも丸刈りにしてみようかな。。。
ちょっと、真剣に検討中です。
 
 
 
 
 




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2007年5月17日 (木)

成長

今日はユキを耳鼻科へ連れて行きました。
 
 
土曜の夜中、寝ているユキを見ていたら右耳がなにやら濡れて
ツヤツヤと光っていました。
好奇心を抑えきれず、嗅いでみると…くっさー!!!
「耳だれ」ってやつですかね。
 
日曜は病院もやっていないので、そのまま放置。
ユキは人差し指をドリルのようにして、ものすごい勢いで右耳を
ほじる、ほじる、ほじる、ほじる…。
真っ赤っかになっていました。
 
 
 
で、月曜日。
父の友人Nさんが来る前に、耳鼻科へ行って来ました。
母の運転で乗り付けたんだけど、最後のカーブを曲がった辺りで
ユキはキョロキョロしだし、耳鼻科の前で停車すると、チャイルド
シートから身を乗り出して窓の外を確認。
 
 
 
絶叫!
 
 
 
どうやら、耳鼻科へ来たことが風景で分かったらしい。
賢くなったな~と思いつつも、こんな時はバカでいてくれぃ。
 
私と看護士さんで、汗だくになりながら押さえつけてるのに
かろうじて自由になる足で、老先生の股間に3回ほど蹴りを
入れてました。やめてちょ。
 
 
 
そんな苦労の結果の診断は…
 
 
 
 
 
「膿がたまりすぎて、分からん」
 
 
 
 
 
 
とゆうことで、「薬を飲んで明後日また来てね」となりました。
そこで水曜日の今日。
またもや耳鼻科へ。車でGO!
 
同じようにまた車内から泣き出し、診察中も大暴れ。
治療をしながら老先生が
「そんなにわめいても、何て言ってるか分かんないぞー」
と言ったら、
 
 
 
 
 
「うぇっく、うぇっく…いたいのー!」
 
 
 
 
 

と答えてました。
おお、会話になってるじゃん! スゲー!
先生の言ってる意味が分かったのか?
 
 
 
 
 
で、今日も「良くなってきてるけど、また明後日来てね」と
言われてしまいました。
これは、さすがのユキにもまだ理解できないから良かった。
意味が分かるようになったら、家を出る時にどんなに手こずる
か。想像するだけでコワイ。
はてさて。
耳鼻科通いはいつまで続くのかなぁ。
がんばれ☆自然治癒力! 
 
 
 
 
 
★ユキが覚えた言葉★
言えるようになった順に並べてみる。

ぶぅーぶぅー (車)
あんぱん   (アンパンマン)
あぷたー   (飛行機))←ヘリコプターから変形したらしい。
わんわん   (犬)
おいちー   (美味しい)
あーかっかっか (鳥)←カモの鳴き声から?
あーちゃん  (飼い猫)←チャーちゃんと皆が呼ぶから。
おじー     (ジィジ)←写真を指さして呼んでくれる。
ないねー   (物がない、人がいない)
あったねー  (ないと思ったのにあった、いた)
ばーば    (バァバ)←たまにババァと言ったりも。
あんぱんまん(アンパンマン)←フルネームで言えるようになった。
いたいのー (痛い)
まま      (私)
 
 
なんで、ママがこんなに後なの!?
しかも「おかーさん」と教えてて、「おかー」とか「かーちゃ」とか
呼んで欲しかったのに、誰から「ママ」を教わったのかなぁ。
 
アンパンマンなんて、フルネームで言えるように進化まで
とげてるし!
(たまにドラえもんに言ってるけど。丸けりゃいいのか?)
「ママぁ」と言っても、五分の確率でバァバのところに行ってるし!
おいおいー。
わりとショックよ。猫よりも後回しかぁ。。。。( ̄д ̄;)
 
 
 
 
 

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2007年5月15日 (火)

友人

今日は、父の友人Nさんが来ました。
 
 
我が家は無宗教・無信心なので、仏壇がありません。
父の希望で、葬儀も業者を使わず、市の火葬場を借りただけで
あとは家族の手作り(?)で行いました。
お坊さんナシ、お経ナシ、戒名ナシ、お墓ナシ。
実に、簡素で、ドタバタで、家族と親族だけの水入らずのお葬式
でした。
(面白い出来事もあったんだけど、それはいずれまた)
 
 
 
なので、父の友人達が「お墓を教えてほしい」「お線香をあげたい」
と言われても困ってしまいます。
 
我が家では仏壇の代わりに、IKEAのシンプルなサイドボードを
父のスペースとして、遺骨、写真、お花、父が書いた旅行記、
入院日記、父の好きなナナ・ムスクーリのCDとデッキ、父が飼って
いたメダカの水槽が置いてあるだけ。
遺骨とメダカが同居。。。
たまに、ユキさんによって、アンパンマンがお供えされたりも。。。 
 
 
 
ま、それもまた良しってことでw
 
 
 
とゆう訳で、父の友人達が行く先は我が家しかなく、その接待が
また大変なんです。
小学校からの幼馴染み、大学の友達、山の会の仲間、職場の人、
旅先で知り合った人などなど。
とにかく、友人が多い。多すぎる。
運転手付きの車で来ちゃうような重役もいたりして。
 
 
でも、今日のNさんはとても気さくな人で、普段着のままで来てくれて
なんの気負いもない様子で人なつっこく色んな話をしてくれました。
 
 
 
その中からひとつ。
 
 
 
Nさんが働いていた時(今はもう定年)、職場で事故があった。
その事故では死者も出て、Nさん自身も重体だったそう。
その時の事を今でもハッキリ覚えているんだけど、Nさんが
救急車で搬送される時、救急隊員が横たわるNさんの頭上で
 
「この人はもう死んでるね」
 
と話していたんだそう。
脈をとったり瞳孔の反射をみたり、Nさんの生死の確認をして
隊員達がそう言うので、
 
「バカ言うな。俺は生きてるぞ!」
 
とNさんは叫びたかったけど、動けなく、声もでなかった。
このままでは死んだことにされちゃう、とNさんは怖くなったけど
次に気付いた時には病室にいて、重体ということで看護を受けて
いた。
 
 
 
「私はあの時のことを、周りの人達みんなに話すんです。
 きっと、生死の境をさまよう時も、もしかしたら死んでしばらくの
 間も、人間の耳は聞こえてるんじゃないかな。
 だから、危篤の人のかたわらで遺産の話だの葬式の打ち合わせ
 だのをしちゃいかんのです。
 大丈夫、良くなるよ、そばにいるよ、と励ましたりいたわるような
 声をかけてあげないと、とてもガッカリして意識が戻る可能性すら
 失ってしまいかねん。
 それほど、私はあの時、ものすごく怖かったんですよ」
 
 
 
父が昏睡状態になった時、私と長兄と叔父さん(父の兄)が
付き添っていることがあった。その時に叔父さんは
「弟が死んだ時も、最期はこんな感じだったんだよー」
と言い、長兄に
「俺、千葉の家に行ったことないんだけど、どう行くの?」
と聞いていた。
 
長兄は叔父さんの家から我が家までの行き方を説明して
いたが、腹が立った。
「千葉の家に来る」ということは、お葬式の時のことを話して
いるからだ。
そんな話を父のそばでしなくたっていいじゃないか。
しかも、今、聞いたからって覚えられるのかよ。
「しっかりしろ」とか「頑張れよ」とかそういう言葉はないのか。
 
 
我慢できなくて「そんな話をしないでください」と言ったら、
「でも、さっき主治医に聞いたら、昏睡の時は話の内容は分から
 なくても雰囲気は伝わってるから、普段通りにそばで過ごして
 あげてください、って言われたんだよ」
と、ぬかしやがった。
 
 
 
普段通りに、葬式の段取りをつけるヤツがいるか!
 
 
 
頭の中で、たくさんの罵りの言葉が沸き起こったがこらえた。
「じゃあ、もっと楽しい話をして下さい。そんなつまらない話は
 お父さんも聞きたくないと思いますから」
そう言ったら「えー。じゃあ、なにを話せばいいの?」だと。
なにも思いつかない、ちっこい脳味噌なら黙っとれ!
 
 
 
長兄は苦笑いをしながら、黙って聞いていた。
叔父さんも黙ってしまい、しばらくして帰っていった。
 
 
 
叔父さんは、本家の当主。
父も、叔父さんを立てていた。(一目は置いてなかったけど)
きっと、長兄も私と同じように感じていたに違いないが、やはり
叔父さんの面目を立てて、聞かれたことを素直に答えていたの
だろう。
こおゆう、妙なしがらみを男社会では感じる。
 
でも、言っちゃったもんね。
 
もっと言ってやりたかったけど、とりあえず黙らせたし。
やってやったぜ。
昏睡のお父さんは呆れたかもしれないけど、いいんだもんね。
きっと、お父さんも叔父さんの話にはウンザリしてたと思うもん。
 
 
 
 
 
この出来事を、次兄が聞いたら、やっぱりちょっと呆れていた。
叔父さんは、後々で、何度も言い訳めいたことを私に言ってきて
自分を正当化しようとしていた。(メンツを取り戻したいのか?)
母だけは「よく言ってくれた!」と、喜んでいた。
男と女の違いかねぇ。
 
 
 
でも、今日、Nさんの話を聞いて、やっぱり思い切って言って
良かったと思った。
昏睡になって戻ってくる人は20%くらいなんだそう。
主治医の人だって、昏睡状態を体験したわけじゃない。
Nさんが叫びたくてもできなかったように、意志を表明できなく
ても意識がある(感じている)ことは十分あり得ると思う。
叔父さんの時には、メジャーを持っていって身長でも測って
 
「○○センチの棺なら入りそうだね」
 
とか言ってやろうか。
なんて、想像するだけで実行はしませんけどね。いくら私でも。
 
 
 
 
 
それにしても、話の面白い(内容があるという意味での)お年寄り
はカッコいいね。
Nさんは、それだけ充実した人生を過ごしてきたことが分かる。
たくさんの苦しみも悲しみもあっただろうことが、言葉にしなくても
分かるし、それらを乗り越えてきた強さまでも感じる。
その点、叔父さんはエリート街道まっしぐらだったけど、同じ話を
何回も何回も何回も…する、それだけの生き方だったんだろうな。
(叔父さん、けちょんけちょん。ちょっと言い過ぎかな。反省)
 
 
 
  
そういう点では、父も話題が豊富で、弔問に来てくれた人もみな

「○○さんは、じゅうぶんに生ききったよ」
「早かったけど、内容は人の倍くらいの人生を生きてるよ」
「うらやましいほど、自分の好きなことに打ち込めてましたよ」
 
と言ってくれていました。
その自分本位な性格から、家族は散々 困らされたけど、こうして
言われると、なにやら父と一緒に大事業を成し遂げたような
ちょっと誇らしいような気持ちにもなったりして。
 
 
そう。
上記のセリフの前には、必ずと言っていいほど
「家族の方は大変だったでしょうけど…」
という言葉がついていました。
ほんっっっと、ワガママな父と付き合うのは大変だったのよ。
でも、楽しかったな。
もっと早くに気付きたかったけど。
 
いつもは弔問客が来ると母と一緒にしんみりしちゃうんだけど、
今日は、Nさんのおかげで楽しかったです。
こんな素敵な友人を持っていたなんて、うらやましいな。
 
 
 
 
 





 
 
 

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2007年5月14日 (月)

再開

久しぶりの日記。
…というか、書いた日記を公開するのが久しぶり。
 
 
 
私が書いてるのはココログの日記なんだけど、これは日にちを
さかのぼって書けるので、ここ1ヶ月のうち何日かの出来事は、
ボチボチ思い出してはダラダラと書いて、下書きBOXに
投げ込んでいました。
いずれ、【回顧日記】として公開する。。。かな?
 
 
 
 
 
日記を公開するってのも、よく考えると変なものよね。
いたって個人的な出来事だし。
でも、文字として吐き出してしまうと、体のウチに抱え込んで
いるよりも納得がいくというか、輪郭が見えてくるというか。
もし、いつか私と同じような経験をする人がいたら、何かの
参考になるかもしらんし。ならないかもしらんが。
 
 
と、ここまで書いて、肝心なことをまだ記していませんでした。
 
 
 
 
 
4月8日。
父が亡くなりました。
 
 
 
 
 
この一言を打ち込んで、画面で見るだけでまだ泣けてしまう。
 
前回の日記に、あたたかな励ましの言葉を下さった方々、
ほんとうにありがとうございました。
目を通していても、状況が日に日に変わっていく中で、お返事の
仕様がなくてそのままにしていました。ごめんなさい。
 
 
 
 
 
私の父は、いま、どこにいるのでしょう。
なにをしているのでしょう。
当然、やり残したこともあったでしょうし、納得のいかないことも
あったでしょう。
それでも、「まあ仕方ないか」と思ってくれているでしょうか。
 
 
 
 
今、毎日をバタバタと過ごしています。
四十九日の準備や思い出の整理をしながら、毎日 目まぐるしく
過ぎていくような気がします。
でも、寝る前に、ふと今日一日にやったことを思い返してみると
「結局、今日は何も進まなかったな…」というような感じもしたり。
バタバタしたり、ボンヤリしたり。
そんな毎日。
 
 
 
 
 
父が亡くなった日の朝。
桜がハラハラと散って、とても美しい夜明けでした。
 
ウチへ帰る車の中で、次兄が
「お父さんがいなくなっても、世間はなんも変わらないな」
と、つぶやいてました。
 
朝早くから荷物を運ぶトラック、シャッターを開け掃除を始める
商店、スーツ姿のサラリーマン。
いつもと変わりない、一日の始まりでした。
 
 
 
しばらくして、長兄が書いているブログを見ました。
父が亡くなって、葬儀が終わり、仕事に戻った日の日記でした。
 
「今日という日は父には訪れなかった。その時間を私は過ごして
 いる」
 
休んでいる間に、たまりまくった仕事を前にそう思ったそうです。
 
 
 
 
 
家族が全員そろって、父を看取ることができました。
もっともっと、父にしてあげられることがあったと思います。
かけてあげる言葉もあったと思います。
こういう運命だと分かっていたら、もっと…。
言っても仕方のないこと、考えても仕方のないこと。
ふとした時に、そんな思いにかられて悲しくなります。
父をこんなに愛していたのかと、自分でも不思議なくらいです。
 
 
 
 
 
…あーあ。
こんなに、超ド級に重たい日記を書いてる人っているんかいな?
でも、私の中の大半を占めていることだし、書かなければウソに
なるし。まぁ、いっか。
 
 
 
いいのか?
 
 
 
また、ボチボチと再開していきます。
日常の些末なことを書いたり、また父とのことを書いたり。
どちらにせよ、つまらない内容だけど。ごめんちゃい。
 
 
 
 
 

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