お気楽ママのよもやま話

2007年5月25日 (金)

忙しさが判断を鈍らせた(言い訳)

ここんとこ、お尻に火がついちゃってます。
(↑なんとなく、この表現がかわいくって好き。感じが出てる)
 
 
 
とゆうのも、26日に父の四十九日を迎えるため、その準備で
私も母も相変わらず大わらわ。
ちっとも、喪中でしんみりしてるヒマなんてない。
ウチは、無宗教・無信心なので、葬儀も法要も手前味噌。
 
今回もお坊さんを呼ばず、我が家で親戚を迎え、お昼ご飯を
食べながらおしゃべりをして済ますことに。
本来ならば、四十九日で納骨するんだけど、生前に父は
冗談まじりにだけど
 
 
 
「ボクの骨は、あたり鉢で細かくして庭にでもまいといて」
 
 
 
と言っていました。
半分本気、半分冗談だったんじゃないかな、と思います。
私の父は三男坊の末っ子なんだけど、もし、本家のお墓に入ると
したらウチからは遠いので、母がお参りに行くのも年々 大変に
なるだろうし、お墓の管理も我が子の代くらいまではしてくれても、
その後が続かないだろう、とのことでした。
 
母も、私や兄達も、父の言うとおりだと思うし、もっと身近にいて
ほしいので、このまま1年は我が家にいてもらおう、その後は
父が旅先で気に入ったと行っていた場所に散骨してこよう、と
いうことになりました。
 
 
 
が。
 
 
 
これを、四十九日の時に、本家の(デリカシーのない)叔父さんに
説明して了解してもらわないといけない。
うーん。なんて言うかなぁ。
あんまり、母を困らせないで欲しいんだけど。
弔問に訪れてくれた父の友人達は、このプランをとても喜んで
くれたし、そうして欲しいと向こうから言ってくる人もいたほど。
でも、叔父さんだって父の兄として、思うところもあるだろうから
邪険にはできないしね。
賛成してくれたらいいんだけどな。
 
 
 
 
 
 
そんな気がかりもあるんだけど、それよりなにより、家の準備が
いまだに整わない。
父が入院して忙しくなり、家の中がメチャクチャになったついでに
模様替えやら修繕やらを始めたら、収拾がつかなくなっちゃった。
カーペットやふすまの張り替え、カーテンの縫製、庭木の手入れ、
家具の買い替え、父の写真の整理、などなどなど。
カーペットを剥がして張り替えてる時に、弔問客が来ちゃったり
するので、また古いのを張り直して誤魔化したりしてたので、
作業がいっこうに進まない。
連日、午前3時頃まで夜なべしてるんだけど(昼間はユキの妨害
工作により進展せず)、果たして、土曜日までに間に合うのか…。
 
 
 
そんな中。
 
 
 
ユキは隔日ペースで耳鼻科通い。(←これも時間食うのよね~)
立派な「化膿性中耳炎」になってしまいました。
かゆくて掻いてしまうので、外耳まで膿と出血でエライことに。
老先生からは
 
 
 
「治るまでお風呂はダメね。お尻だけ洗ってやって」
 
 
 
と言われたので、その通りにしていたら、頭をかきむしるように
なってしまいました。(髪の毛を抜いてしまう勢い)
もともと寝汗がすごいので、洗ってやってないこともあって、
かゆいのかもしれない。
ただでさえ、忙しい&耳が心配&乾燥肌で寝不足気味なのに、
これ以上わずらわされたくないなぁ。
 
 
 
 
  
…いっそのこと、やっちまうか? キラーン!
 
 
 
 
 
てことで、丸坊主 確定!
夏は坊主もいいっしょ!
四十九日でお坊さんを呼ばない代わりに、ユキに小坊主に
なってもらうってのもタイムリーだし!(←意味不明)
 
ハサミで適当にザク切りし、バリカンで剃ってみました。
ユキは怖がりもせず、むしろ興味津々でバリカンに頭をこすり
つけてくるのでマダラ模様に。。。 
 
 
 
 
Dsc02006  
ビフォアー。
 
 
 
Dsc02038
アフター。
 
 
 
 
 
お、お地蔵様!?
夜中、グズるユキに起こされて、寝ぼけまなこで見ると本気で
ビックリしちゃいます。
暗がりの中、グズって顔をしかめてる坊主頭。
我が子なのに…
 
 
 
 
 
Body01_2
「子泣きじじい」に見える!
わりと…本気でかわいくない。。。
 
 
 
 
 

ちなみに。
昼間のユキは、
 
 
 
 
 
4_sinagawa_1
品川 祐(もちろん左)に見える!
かなりキテる。(この写真もヒドイが)
 
 
 
本人は、遊んでる途中で頭を触ったり、鏡を見て不思議そうな
顔をしたりしてるけど、わりと気に入ってる様子。
でも…見た目が。。。
やばいな~。
早く髪の毛生えないかなぁ。大汗。
 
 
 
 

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2007年5月15日 (火)

友人

今日は、父の友人Nさんが来ました。
 
 
我が家は無宗教・無信心なので、仏壇がありません。
父の希望で、葬儀も業者を使わず、市の火葬場を借りただけで
あとは家族の手作り(?)で行いました。
お坊さんナシ、お経ナシ、戒名ナシ、お墓ナシ。
実に、簡素で、ドタバタで、家族と親族だけの水入らずのお葬式
でした。
(面白い出来事もあったんだけど、それはいずれまた)
 
 
 
なので、父の友人達が「お墓を教えてほしい」「お線香をあげたい」
と言われても困ってしまいます。
 
我が家では仏壇の代わりに、IKEAのシンプルなサイドボードを
父のスペースとして、遺骨、写真、お花、父が書いた旅行記、
入院日記、父の好きなナナ・ムスクーリのCDとデッキ、父が飼って
いたメダカの水槽が置いてあるだけ。
遺骨とメダカが同居。。。
たまに、ユキさんによって、アンパンマンがお供えされたりも。。。 
 
 
 
ま、それもまた良しってことでw
 
 
 
とゆう訳で、父の友人達が行く先は我が家しかなく、その接待が
また大変なんです。
小学校からの幼馴染み、大学の友達、山の会の仲間、職場の人、
旅先で知り合った人などなど。
とにかく、友人が多い。多すぎる。
運転手付きの車で来ちゃうような重役もいたりして。
 
 
でも、今日のNさんはとても気さくな人で、普段着のままで来てくれて
なんの気負いもない様子で人なつっこく色んな話をしてくれました。
 
 
 
その中からひとつ。
 
 
 
Nさんが働いていた時(今はもう定年)、職場で事故があった。
その事故では死者も出て、Nさん自身も重体だったそう。
その時の事を今でもハッキリ覚えているんだけど、Nさんが
救急車で搬送される時、救急隊員が横たわるNさんの頭上で
 
「この人はもう死んでるね」
 
と話していたんだそう。
脈をとったり瞳孔の反射をみたり、Nさんの生死の確認をして
隊員達がそう言うので、
 
「バカ言うな。俺は生きてるぞ!」
 
とNさんは叫びたかったけど、動けなく、声もでなかった。
このままでは死んだことにされちゃう、とNさんは怖くなったけど
次に気付いた時には病室にいて、重体ということで看護を受けて
いた。
 
 
 
「私はあの時のことを、周りの人達みんなに話すんです。
 きっと、生死の境をさまよう時も、もしかしたら死んでしばらくの
 間も、人間の耳は聞こえてるんじゃないかな。
 だから、危篤の人のかたわらで遺産の話だの葬式の打ち合わせ
 だのをしちゃいかんのです。
 大丈夫、良くなるよ、そばにいるよ、と励ましたりいたわるような
 声をかけてあげないと、とてもガッカリして意識が戻る可能性すら
 失ってしまいかねん。
 それほど、私はあの時、ものすごく怖かったんですよ」
 
 
 
父が昏睡状態になった時、私と長兄と叔父さん(父の兄)が
付き添っていることがあった。その時に叔父さんは
「弟が死んだ時も、最期はこんな感じだったんだよー」
と言い、長兄に
「俺、千葉の家に行ったことないんだけど、どう行くの?」
と聞いていた。
 
長兄は叔父さんの家から我が家までの行き方を説明して
いたが、腹が立った。
「千葉の家に来る」ということは、お葬式の時のことを話して
いるからだ。
そんな話を父のそばでしなくたっていいじゃないか。
しかも、今、聞いたからって覚えられるのかよ。
「しっかりしろ」とか「頑張れよ」とかそういう言葉はないのか。
 
 
我慢できなくて「そんな話をしないでください」と言ったら、
「でも、さっき主治医に聞いたら、昏睡の時は話の内容は分から
 なくても雰囲気は伝わってるから、普段通りにそばで過ごして
 あげてください、って言われたんだよ」
と、ぬかしやがった。
 
 
 
普段通りに、葬式の段取りをつけるヤツがいるか!
 
 
 
頭の中で、たくさんの罵りの言葉が沸き起こったがこらえた。
「じゃあ、もっと楽しい話をして下さい。そんなつまらない話は
 お父さんも聞きたくないと思いますから」
そう言ったら「えー。じゃあ、なにを話せばいいの?」だと。
なにも思いつかない、ちっこい脳味噌なら黙っとれ!
 
 
 
長兄は苦笑いをしながら、黙って聞いていた。
叔父さんも黙ってしまい、しばらくして帰っていった。
 
 
 
叔父さんは、本家の当主。
父も、叔父さんを立てていた。(一目は置いてなかったけど)
きっと、長兄も私と同じように感じていたに違いないが、やはり
叔父さんの面目を立てて、聞かれたことを素直に答えていたの
だろう。
こおゆう、妙なしがらみを男社会では感じる。
 
でも、言っちゃったもんね。
 
もっと言ってやりたかったけど、とりあえず黙らせたし。
やってやったぜ。
昏睡のお父さんは呆れたかもしれないけど、いいんだもんね。
きっと、お父さんも叔父さんの話にはウンザリしてたと思うもん。
 
 
 
 
 
この出来事を、次兄が聞いたら、やっぱりちょっと呆れていた。
叔父さんは、後々で、何度も言い訳めいたことを私に言ってきて
自分を正当化しようとしていた。(メンツを取り戻したいのか?)
母だけは「よく言ってくれた!」と、喜んでいた。
男と女の違いかねぇ。
 
 
 
でも、今日、Nさんの話を聞いて、やっぱり思い切って言って
良かったと思った。
昏睡になって戻ってくる人は20%くらいなんだそう。
主治医の人だって、昏睡状態を体験したわけじゃない。
Nさんが叫びたくてもできなかったように、意志を表明できなく
ても意識がある(感じている)ことは十分あり得ると思う。
叔父さんの時には、メジャーを持っていって身長でも測って
 
「○○センチの棺なら入りそうだね」
 
とか言ってやろうか。
なんて、想像するだけで実行はしませんけどね。いくら私でも。
 
 
 
 
 
それにしても、話の面白い(内容があるという意味での)お年寄り
はカッコいいね。
Nさんは、それだけ充実した人生を過ごしてきたことが分かる。
たくさんの苦しみも悲しみもあっただろうことが、言葉にしなくても
分かるし、それらを乗り越えてきた強さまでも感じる。
その点、叔父さんはエリート街道まっしぐらだったけど、同じ話を
何回も何回も何回も…する、それだけの生き方だったんだろうな。
(叔父さん、けちょんけちょん。ちょっと言い過ぎかな。反省)
 
 
 
  
そういう点では、父も話題が豊富で、弔問に来てくれた人もみな

「○○さんは、じゅうぶんに生ききったよ」
「早かったけど、内容は人の倍くらいの人生を生きてるよ」
「うらやましいほど、自分の好きなことに打ち込めてましたよ」
 
と言ってくれていました。
その自分本位な性格から、家族は散々 困らされたけど、こうして
言われると、なにやら父と一緒に大事業を成し遂げたような
ちょっと誇らしいような気持ちにもなったりして。
 
 
そう。
上記のセリフの前には、必ずと言っていいほど
「家族の方は大変だったでしょうけど…」
という言葉がついていました。
ほんっっっと、ワガママな父と付き合うのは大変だったのよ。
でも、楽しかったな。
もっと早くに気付きたかったけど。
 
いつもは弔問客が来ると母と一緒にしんみりしちゃうんだけど、
今日は、Nさんのおかげで楽しかったです。
こんな素敵な友人を持っていたなんて、うらやましいな。
 
 
 
 
 





 
 
 

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2007年5月14日 (月)

再開

久しぶりの日記。
…というか、書いた日記を公開するのが久しぶり。
 
 
 
私が書いてるのはココログの日記なんだけど、これは日にちを
さかのぼって書けるので、ここ1ヶ月のうち何日かの出来事は、
ボチボチ思い出してはダラダラと書いて、下書きBOXに
投げ込んでいました。
いずれ、【回顧日記】として公開する。。。かな?
 
 
 
 
 
日記を公開するってのも、よく考えると変なものよね。
いたって個人的な出来事だし。
でも、文字として吐き出してしまうと、体のウチに抱え込んで
いるよりも納得がいくというか、輪郭が見えてくるというか。
もし、いつか私と同じような経験をする人がいたら、何かの
参考になるかもしらんし。ならないかもしらんが。
 
 
と、ここまで書いて、肝心なことをまだ記していませんでした。
 
 
 
 
 
4月8日。
父が亡くなりました。
 
 
 
 
 
この一言を打ち込んで、画面で見るだけでまだ泣けてしまう。
 
前回の日記に、あたたかな励ましの言葉を下さった方々、
ほんとうにありがとうございました。
目を通していても、状況が日に日に変わっていく中で、お返事の
仕様がなくてそのままにしていました。ごめんなさい。
 
 
 
 
 
私の父は、いま、どこにいるのでしょう。
なにをしているのでしょう。
当然、やり残したこともあったでしょうし、納得のいかないことも
あったでしょう。
それでも、「まあ仕方ないか」と思ってくれているでしょうか。
 
 
 
 
今、毎日をバタバタと過ごしています。
四十九日の準備や思い出の整理をしながら、毎日 目まぐるしく
過ぎていくような気がします。
でも、寝る前に、ふと今日一日にやったことを思い返してみると
「結局、今日は何も進まなかったな…」というような感じもしたり。
バタバタしたり、ボンヤリしたり。
そんな毎日。
 
 
 
 
 
父が亡くなった日の朝。
桜がハラハラと散って、とても美しい夜明けでした。
 
ウチへ帰る車の中で、次兄が
「お父さんがいなくなっても、世間はなんも変わらないな」
と、つぶやいてました。
 
朝早くから荷物を運ぶトラック、シャッターを開け掃除を始める
商店、スーツ姿のサラリーマン。
いつもと変わりない、一日の始まりでした。
 
 
 
しばらくして、長兄が書いているブログを見ました。
父が亡くなって、葬儀が終わり、仕事に戻った日の日記でした。
 
「今日という日は父には訪れなかった。その時間を私は過ごして
 いる」
 
休んでいる間に、たまりまくった仕事を前にそう思ったそうです。
 
 
 
 
 
家族が全員そろって、父を看取ることができました。
もっともっと、父にしてあげられることがあったと思います。
かけてあげる言葉もあったと思います。
こういう運命だと分かっていたら、もっと…。
言っても仕方のないこと、考えても仕方のないこと。
ふとした時に、そんな思いにかられて悲しくなります。
父をこんなに愛していたのかと、自分でも不思議なくらいです。
 
 
 
 
 
…あーあ。
こんなに、超ド級に重たい日記を書いてる人っているんかいな?
でも、私の中の大半を占めていることだし、書かなければウソに
なるし。まぁ、いっか。
 
 
 
いいのか?
 
 
 
また、ボチボチと再開していきます。
日常の些末なことを書いたり、また父とのことを書いたり。
どちらにせよ、つまらない内容だけど。ごめんちゃい。
 
 
 
 
 

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2007年3月12日 (月)

神様の警告

とっても心配なことがありました。(注:超長いしヘビーだよ!)
 
 
 
ジィジは6日に退院してから、思ったよりも元気そうでヒマを
持てあましてるようでもありました。
 
 
 
 
ところが、10日の夜中。 
お昼寝をしたため眠れなくなったと言って、午前3時まで、
居間でゴロゴロしたりテレビを見たりしていたかと思うと、
なにやら不可解な行動をするようになったそうです。
私はユキと一緒に寝ていたので、朝になってバァバから
聞きました。
 
 
「お茶をくれ」と言ったので、バァバが用意して持っていくと、
ジィジは新聞紙を几帳面に小さく折りたたんでくわえている。
「何をやってるんですか?」と聞くと「お茶が飲めないんだ」
と答えた。
 
 
なんかおかしいな、と思ったバァバが寝ないで様子を見て
いると、トイレに立ったジィジが廊下でキョロキョロしている
ので聞いてみると「トイレはどこにあったかな?」と言った。
などなど。
 
 
 
 
 
 
11日の朝。
ユキと一緒に居間に行ってみたら、ジィジはうなだれて座って
いました。そしてバァバから夜中の様子を聞かされた。
 
 
ジィジは、頭の回転が速く、物事の因果がはっきりしていないと
納得できなくて、他人の些細なミスや言い間違いまでもビシッと
正すような人。
それに比べて、バァバは天然ボケの大雑把で、よくジィジに
厳しく怒られていました。
 
だけど、この日のジィジは、そんな活き活きとした憎々しい
ところが全くなくなっていました。
 
 
 
 
私とバァバで、一日中 様子を見ていました。
 
大好きなテレビもDVDも見ず、新聞を意味もなく小さく小さく
折りたたんでおでこにあてたり、果物を食べようとテーブルを
スプーンでつついたり、酸素のチューブを入れ歯と間違えて
くわえたり、探しものを始めても自分が一体 何を探していたか
分からなかったり。
 
 
 
時間が追うに連れて、不可解な行動が増えていくようでした。
 
 
 
昼頃、バァバに病院に電話するように提案。
「日曜日だし先生もいないだろうし…」とバァバは消極的だった
けど、とにかくダメ元で電話。
当直の看護士さんに状況を話したら、主治医から電話をもらえ
るように手配してくれることになって、その後、主治医の先生に
ジィジの様子を説明すると
 
 
 
「脳に障害が起きているかもしれない。月曜に予約外でも診る
から来て下さい」
 
 
 
と言われました。
 
 
ジィジは、夜には「トイレに行く」と立ち上がって5分ほど居間を
ウロウロして、そのままそこでズボンを下ろそうとしていました。
慌ててトイレに連れて行っても、便座を上げて用を足すことや
最後には流すことなどを忘れていました。
 
 
 
 
本人も、自分でおかしいことをしていると気付くこともあるようで
「ボケちゃったみたいだな」「ねねちゃ、俺、どうしよう?」などと
私に聞いてきてはガックリしていました。
でも次の瞬間には、ボンヤリした様子でまた不可解な行動を
していたり。。。
 
 
 
 
 
12日。
長兄が来て、病院まで送り迎えをしてくれることに。
 
出かけるとあってか、久しぶりに長兄に会ったからか、ジィジは
昨日よりも随分シャキッとしていました。
携帯用の酸素ボンベの操作方法で、トンチンカンなことを言って
いたけど昨日よりはまだちゃんとした会話になるし、その様子に
ちょっと安心。
 
 
私とユキはお留守番なので、みんなのお見送りをし、汚れ物の
始末や洗濯、ジィジの好物ばかりを買いに行き、ジィジがいつも
いる居間から見える花壇をキレイに手入れしました。
 
ユキは誰もかまってくれないのでワガママも言うけど、ちゃんと
お昼寝もしてくれたし、どこにでも付き合ってついてきてくれた
ので、だいぶ仕事がはかどりました。
 
 
 
 
 
夕方、みんなが帰宅。
まずジィジ本人に、診察結果や病院での出来事について聞いて
みる。以前のようにキチンと順序だって話せていないんだけど、
ちゃんと分かるように説明をしてくれたし、バァバ達に確かめても
内容に間違いはなかったです。
 
 
私もバァバも、脳への転移か脳血管の塞栓を疑っていたけど、
尿量が減ったためにアンモニアが体内に充満して、脳に影響が
でたんだろう、とのこと。
脳症の一種ではあるらしいけれど、改善の余地はあるみたい。
 
 
 
 
 
ジィジはその後も、テレビや新聞を見ながら色々と話しかけて
きて「このニュースは つまりこういう事だよね?」などと、自分が
内容を把握できているか、ひとつひとつ私に確認してきました。
どれも、ちゃんと正しく分かっていました。
 
 
 
 
 
バァバが、病院に向かう車の中での出来事を話してくれました。
高速の出口を間違えて降りてしまい、ナビでは修正したルートを
示して左折するように言ってるのにジィジが「右折しろ!」と、
しつこく運転している長兄に怒鳴ったそう。
 
「どうして?ナビは左折って言ってるじゃない?」
「右折しないと松ヶ丘に行けないだろう!」
「今日はT病院に行くんだから、松ヶ丘は関係ないでしょ」
「なんでだ!松ヶ丘に用があるんだろうが!」
 
 
 
 
しばらく、車内でジィジの怒鳴り声は続いた。
でも、この短気さはジィジらしい行動。不可解なものではないの。
 
 
松ヶ丘は私がユキを出産した助産院があるところ。
お腹が大きくなってから、健診に行く度に、ジィジに車で送って
もらっていました。どうやらその時の記憶がよみがえってきて、
ゴチャ混ぜになってしまったみたい。
 
 
 
病院に着いてから、予約外だったので長い間 待たされることに
なった時もジィジは
 
 
「俺はもう大丈夫だから、バァバは帰りなさい」と言うので
「どうしてですか?」と聞くと
「今日はねねちゃも病院に行くんだろうが!アイツの方が
大変なんだから行ってやれ!」
 
 
と怒鳴ったんだそう。
自分の考えがすぐ伝わらないとカチンときて怒鳴り散らすのは、
ジィジの性格。昨日はそんな元気もない無気力な様子だった
ので、これはいい傾向なんだけど、言ってることはメチャクチャ。
 
 
 
「自分が絶対に正しいと思ってすぐ怒鳴るからイヤになるわ」
と、バァバが私に話していたら、黙って聞いていたジィジが
 
 
 
「ま、バァバの話はだいぶ誇張されてるんだけども(照笑)。
それにしても、俺、やっぱり、ねねちゃのことが一番、いつも気に
かかってるみたいなんだよな~」
 
 
 
と、私の背中をポンと叩いてサラリと言ってました。
 
 
 
ヒトの頭って、同時に、大小様々な色んな事を考えてるけれど、
行動に移る時は、その中の一つにスポットライトがあたってる
ようなものだと思う。
うまくライトが一つのことに当たれば、自分の意志で、思った
ように行動ができるんだろう。
昨日のジィジはアンモニアの自家中毒(?)のせいで、ライトが
クルクルと落ち着きなくまわって、結果、意味不明の言動に
つながったんじゃないかな。
とういのが、私の痴呆に対するイメージ。勝手な解釈。
 
 
 
そんな混乱した頭でも、私のことが気にかかっていたなんて、
いつも私のことが頭の中にあるなんて、とても嬉しかった。
本当は、申し訳ないと反省しなきゃいけないんだろうけど。
 
 
私が未婚で出産する、1人で助産院に入院し出産する、という
ことがジィジには心配で心配でたまらなかったのだろう。
助産院へ送迎してくれた時も、面倒くさそうにイヤイヤながらの
様子で、私をいたわってくれるようなことはなかったけれど、
やっぱり心配してくれていたんだなぁ、とジーンときちゃいました。
 
 
 
 
 
介護が必要になった時。
 
ユキもいて、私にどれだけお世話してあげることができるだろう。
どんなことができるだろう。
とても、考えさせられました。
ジィジの様子は心配だけど、状況はそこまで悪くなってない。
 
  
   
「今のうちに、知識も体力も余裕も準備しておかないと!」
今回のことは、そう神様に警告されたような気がしました。






 

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2007年3月 6日 (火)

退院

今日、ジィジが退院してきました。
 
 
 
次兄が有休を取って娘(みったん・4歳)と一緒に車を出して
病院までお迎えに行ってくれました。
私は、みんなのお昼にと思って自然食レストランにお弁当の
買い出しに行きました。
バイキング形式のお店なので「お持ち帰り」でオーダーすると
お弁当容器をくれ、自分で好きなお総菜を詰められるという
もの(1人前1100円)。思ったよりも容器が小さかったので、
 


「ご飯はスーパーで おこわ でも買えばいいや。それよりも
ここはオカズ狙いで行こう」
 
 
 
などという さもしい考えで、容器からこぼれそうなほどオカズを
せっせと山盛りに積んでいました。
そんな姿を哀れに思ったのか、支配人のオジサマがつつっと
寄ってきて
 
 
 
「焼きたての卵焼きも、どうぞお召し上がり下さいませ」
 
 
 
と、パックをそっと手渡してくれるのでした。
黄色いカタチの整った美味しそうな卵焼きがたっくさん。
 
 
 
「今、コックに焼いてもらったので熱いですからお気をつけを」
 
 
 
などと言って、ドアを開けてお見送りまでしてくれました。
こっぱずかしい気分。
でも、ラッキー☆
ジィジ、卵焼きが大好きなのよ。ありがとう支配人さん。
(ちなみに、お弁当は4人前分つめたんだけど、お昼と夕食に
なったのでシッカリ元は取れてるかも。取りすぎ?)
 
  
  
その後、ル・グレ館にて、イチゴや桜のケーキなども購入。
みんなで、ワイワイと楽しいお昼になりました。
ユキとみったんと、こどもが2人もいると本当に賑やか。
ジィジも「今日は食欲があるなー」と自分でも驚くほど食べて
いました。(と言っても、以前の3分の1位の量だけど)
 
 

 
 
 
ジィジは肋骨への放射線照射の副作用で間質性肺炎という
難病にかかってしまいましたが、これを治す分のクスリを
服用すると肝臓に負担がありすぎるということで、量を減らして
処方されているため、非常に治りづらいとのこと。
 
入院した時も、この肺炎と肋骨ガンのために肺がふくらみにくく
なって、血中酸素飽和度が異常に低く「死んでてもおかしくない」
と言われたほど。
退院した今も、その状況に変わりはないので、酸素ボンベを
設置して常に鼻から吸入しています。
 
 
 
そのチューブを、ユキが引っ張ったり、みったんがつまづいたり
して、その度に私とバァバは大慌て。
吸入がないと、安静にしてる分には苦しいなどの自覚症状は
ないけど、脳に酸素がいかなくなって危険と言われているので。
 
うーん。
ユキに説明しても分からないだろうし、どうしたものか。。。
明日は、大幅に家具の配置を替えて、うまくチューブを隠さないと
いけないなぁ。 
 
 
 
 
 
 
ジィジは、ユキが歩いたり「あんぱん!」と喋るのを見て驚いて
いました。22日ぶりに会っても、ユキはニコニコ笑って泣かな
かったし、その上「じっじじぃじっっじ」と「ジィジ」らしき言葉まで
かけたので、ジィジ大喜び。
 
実を言うと、3日前くらいから写真を見せて「ジィジ」の練習を
していたの。「かーちゃん」はまたもや後回し。まぁ、仕方ない。
 
 
 
 
まだまだ油断のならない状況だけど、やっぱり、ウチで一緒に
生活できるだけで、なんだか安心しちゃうな。
お医者さんには
 
 
 
「スーパーとか人の多い所への外出はダメです。でも、お孫さんと
散歩に行くのはとてもいいことだから是非トライしてみて」
 

 
と言われたそうなので、体調を見て、もっともっと春めいてきたら
ピクニックに連れ出してみたいな☆
あー。でも、ようやく落ち着いた感じ。やれやれだぁ。 
 
 
 
 
 
 
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆ ゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆ ☆*゜ ゜ 
 
 
 
 
 
どーでもいいような話なんですが。(記念にw)
 
 
 
姪っ子みったん と遊んでいたらカミナリがなったので、窓を
閉めに他の部屋へ行ったら、みったんがバァバに
 
 
 
「あの黄色い服を着た女の子はどこへ行ったの?」
 
 
 
と聞いたんだそう。
みったん はまだ私が「叔母」でユキが「従姉妹」なんだという
関係性が分かっていないし、どうやら私の名前も覚えてない
みたい。
 
 
 
 
それにしても「女の子」かぁ。。。
 
 
 
 
「女の子」ねぇ。。。
 
 
 
 
ちょっと恥ずかしいけど、ちょっと嬉しい一言でした。
でも、名前くらいは覚えておくれよ~。
 
 
 
 
 
 

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2007年2月20日 (火)

拝啓、父上様。

何をどう書こうか、どこまで書こうか、何日も悩んだんですが、
つらつらと記しておこうと思います。(注:わりとヘビーな内容かも)
 
 
  
ジィジ(以下、父とします)が入院しました。
肝臓ガンを長く患っている父は、病変を切除するという外科的な
処置を行うことができず、今回は血管を塞栓してガン細胞に
栄養がいかないようにする方法になりました。
 
 
昨年末に放射線治療を行った肋骨以外にも、骨盤に転移している
ことが判明し、さらに肋骨に照射したはずの放射線が肺にも
当たっていたためか10万人に1人という難病の肺炎をも併発して
しまいました。
 
 
父がガンになって6年近く。
それでも、どこか「ガン」という病気は私にとって他人事だったけど、
食欲が落ち首から肩にかけて見違えるように痩せてしまった父を
見ていると、氷の手で心臓を握り潰されるような思いがします。
 
 
 
少しずつ行える治療法が限られていく。
 
 
 
どんどん身動きがとれなくなって、何者かに頭を押さえつけられて
残されたただ1つの道を、どんなにあがこうとも、直視するように
突きつけられる感じ。
 
 
 
 
人間は自由ではない。
自分でなにもかもコントロールできるわけじゃない。
 
 
 
 
とても当たり前のことなんだけど、普段は考えもしないことを、
毎日 気が付くといつも考えている。
言葉に出してしまうと現実になってしまいそうで、詳しくは
書かないけど、私は父のことがとても心配です。
 
どうぞ、少しでも元気を取り戻して、ユキと一緒にお散歩できる
ようになってください。
ユキが「ジィジ」とあなたを呼ぶまで、楽しい思い出を記憶できる
ようになるまで、どうぞ頑張って下さい。
相変わらず憎まれ口の減らないあなたなんですから、昔からの
ことわざにもある通り、どうぞ好きなだけ世にはばかって下さい。
 
 
 
 
 
ユキは、この数日間にも、色んな事ができるようになりましたよ。
 
 
 
 

車を見て「ブゥ!」と言うようになりました。
アンパンマンには「アンパン!」とか「アパ!」とか言ってます。
意味が分かって使っているようなので「ブゥ」が初めての言葉に
認定されました。「ママ」じゃないのはちょっと不服なんだけどね。
 
 
自分の鼻が分かるようになったみたいで「ハナが出てるよ」と
教えると、鼻の穴に指をやるようになりました。ふき取るのは
もちろんまだ出来ないんだけど。
 
 
食事では、ホワイトソースやケチャップ味の洋風のものよりも、
青菜をゴマ和えにしたり酢みそ和えにしたものの方が大好き。
ゴマ、海苔、ヒジキ、切り干し大根★LOVE。純和風。
 
 
デパートやスーパーでも、私の手を振り払って1人で歩きたがる
ようになりました。エスカレーターに興味津々で寄っていくので、
すっごく危なっかしいんだけどw
  
 
こないだユキのウエストを測ったら、なんと53cmもありました。
私とそう変わらないじゃん!…なんて大見栄をはってみたりw
いよかんやトマトみたいに酸っぱいのが好きだから、もしかして
妊娠してるのかも!?w
 
 
「むすんでひらいて」の歌にあわせて、歌詞の通りに手を握ったり
ひらいたりできるようになりました。もとから「にぎにぎ」はお得意
だったからねぇ。
 
 
自分の顔を見るのが楽しいらしく、アルバムや鏡で自分をながめて
取り上げるまでず~っとニヤニヤするようになりました。ナルシー?
 
 
イケナイことを注意されると、体をのけぞって抵抗したり、物を投げ
つけてきたりするんだけど、そこで私がさらに本気だして怒ると、
泣きながら頭をペコペコとさげて抱きついてきて、私が抱きしめ返す
までは泣きやみません。
きっと、許してもらえるまで不安なんでしょうね。
 
 
  
 
 
ユキは、ちょっと見ぬ間にも、日々 成長していますよ。
誰に似たのか、なかなか手強いワガママ小僧になりつつあるけどw
まずは無事に退院して、ユキに添い寝してもらってお昼寝でも!
 
 
こどもの体温と寝息は、しみじみと幸せを感じていいものだよ。
ね。おじいちゃん。 
 
 
 
 
 
 
 

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2007年1月 6日 (土)

将来設計

もう、お正月も明けて1週間になるんですね~。早いなぁ。
 
今年のお正月、何をしていたかと言うと、これから先の将来設計に
ハゲそうなくらい悩みまくっていました。
ユキがめでたく1歳になって、パイパイがなくてもなんとか離乳食で
生存可能となった今、そろそろ職探しをしなくてはなりません。
この1年。
貯金を ちょっとずつ ちょっとずつ 削って生活していましたが、
そろそろ限界が近づいてきました。
逆さにして振っても、鼻血もでません。とほー。
ユキとのんびり毎日を過ごしたいけど、そうは言ってられん。
働かざる者食うべからず。やれやれ。(。-`ω´-)=3
 
 
 
 
 
とは言うものの。
雇用保険の「求職者を対象とした職業訓練制度」を利用しないのは
なんだかもったいない気がする。
無料でツブシのきく資格が取得できて、しかも通学中は雇用保険が
ずっと出るというオイシイ制度。(今年度から一部有料化)
それはそれは、とぉっても魅力的★ ・゜:*(´ω`*人)
なんせ、私の収入で、ユキとの生活を立てていかなくてはならない。
私の老後は、(ユキは嫁に取られると覚悟して)自分の面倒は
自分でみなくちゃならない。
50歳や60歳になってもバリバリ働けるような資格が取れれば、
こんなに安心できることはない。
  
 
 
で。
このお正月は、受講したいコースを絞り込んで、募集要項が
発表されているか調べまくってました。
(居住県内だけでなく他県のコースも受講できるんだって)
 
 
ようやく、ある程度の目星はつきました。
 
 
でも、本当にこの職種に将来性はあるのか、そもそも自分に
適性はあるのか、他に選択肢はないのか、不安もあったので
今日は、マザーズハローワーク幕張ブランチに行って、キャリア
カウンセラーに相談してきました。
2時間たっぷり話を聞いてもらって、適職診断もしてもらって、
無料(託児あり)とはありがたい!
 
 
色んなアドバイスをしてもらったので、また考え直さなきゃいけない
ことも出てきたんだけど、カウンセラーは 所詮 カウンセラー。
最終的には、自分で、生き方を決断しなきゃいけないんだよね。
 
 
 
「これを ここまで頑張れば まぁそこそこ幸せになれますよ」
なんて、誰にも分からないんだし。
もう無駄な回り道はしたくないけど、やってみなくちゃ無駄になるか
そうではないか分からないし。
あああ。ほんとに悩むのよ。
 
 
 
でも、4月から始まるコースはもう出願が始まってる。
そもそも、コースを決めても、試験に受からなければ受講できない。
この年になって、今さら、学力試験もあるんだよなぁ。 (-。-;)
冗談ぬきで、ほんとに円形脱毛症にでもなってしまいそうよ。。。
  
 
 
 
 
 
*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆ ゜・:,。゜・:,。★゜・:,。゜・:,。☆ ☆
 
 
 
 
 
今夜のユキ。
 
以前、「ユキちゃん」と呼んだらお返事に片手をあげる とゆう
技をしこんだんだけど、ようやくその瞬間が撮れました。
(暗い中、ケータイで撮ったので画質が悪いのが残念)
20070106221313_1
ユキの気分がノッてないと、やってくれない。
 
 
 
 
 
もう一つ。
夕方、「こんにちは」の挨拶をする しかけ絵本を読んであげたら
ユキも真似て覚えた技。
「こんにちは」と声をかけると…
 
 
20070106221522
土下座。
頭だけ下げるのは、重たくて無理なのかな?
必ず両手を床についてから、頭を下げるんだよねw
 
 
 
もう!ユキちゃんたらっ!
こおゆう仕草を見ると、ほんとかわいくってしょうがない。←おバカ。
かーちゃんは頑張るからね。安心してついておいで! (`・ω・´)b
 
 
 
 
 

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2006年12月31日 (日)

ゆく年、くる年。

あと30分ほどで2007年になります。
はしゃぎまくったユキは、夜更かしして、今ようやく眠りました。
最近、母はこの若さについていけません。ダルダルです。
 
 
 
去年の今頃は、ユキはまだ生後1ヶ月ほどで、寝返りもうたず
ベットで眠るだけの毎日。
泣いては、オムツを替えパイパイを飲んで、また眠るだけの日々。
それが今では、窓の鍵をあけて家出を試みたり、猫の足をとって
棚から引きずりおろそうとしたり、母の顔に積み木を振り下ろしたり、
台所に入ってきてガス台をポチッと押して点火しようとしたりの、
悪行(?)の数々。。。
オムツ替えだって、嫌がってフルチンのまま逃げまわるので、
ふんじばってギャン泣きする中を力ずくでなんとか終える感じ。。。
ああ、一年前の赤ちゃん赤ちゃんしてた頃が懐かしい。
 
 

 
 
でも、あの頃は「こんな頼りない感じじゃ壊してしまいそう」と思って
お風呂に入れるのも抱っこするのでさえ、ドキドキしてたっけ。
早く大きくなって!
と、思ってたんだよなぁ。
 
 
 
 
 
ユキは、その通り、大きくなってくれました。
2歳児なみの体格で元気に遊んで、大きな病気も怪我もなく、
一年を終えようとしています。
それで、十分なんだよね。
最近、ユキの抵抗にイライラすることもしばしば。
眠ってくれない夜には「もう今日のお母さんは終了しました」と
布団をかぶって隠れて、ユキを泣かせてしまうこともしばしば。
(↑これはつい面白くてやっちゃうんだけどね。意地悪かな?)
 
 
 
ワガママも「ボクはこうしたい!」っていう意志の表れだもんね。
喜ぶべき成長なんだから怒ることはないんだけどね。
でも、危険なことややらなきゃいけないことは、ユキに分かって
もらわないといけないしねぇ。
 
 
 
 
 
こうして一緒の布団で眠って年を越すのも、あと何回あるだろう。
ユキが、私と同じ布団で眠ってくれるのはいくつまで?
お母さんお母さんと、慕ってくれるのは?
こんな先々の事を考えてたら、鬼も笑うどころか呆れるだろうねw
 
 
 
 
 
2007年の抱負。
ユキの成長を、見逃さず、楽しんで、ユキと一緒に私も大人になる。
 
 
 
春になったら、いい加減、働きにでなくてはいけなくなる。
それでも、ユキの成長を、一番近くで見て、一番早く気付きたい。
そのためには、もっと色んな事を同時にできるようにならないとね。
要領よく、体力気力に充実して、フットワークも軽く!
 
 
 
 
 
うーん。
超重量級のお尻を持つ私には難しいけど、がんばらねば。
ああ、あと10分で新しい年。
2007年も、みんな仲良く幸せに過ごせますように。。。
 
 
 
 
  
とゆう訳で。
みなさま、今年はお世話になりました。
そして、来年もまたいっそうお世話になりますが、
どうぞよろしくお願いします。合掌。(^人^)
もとい、賀正w

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2006年11月11日 (土)

帰還

今日、1ヶ月ぶりにジィジが帰ってきました。
 
実は、先月から車で一人旅に出ていました。
退職してからのジィジは、旅行と旅行記を書くのが趣味に
なったらしく、テントを張ったり民宿に泊まったりしながら
一人で全国をまわってくるようになりました。
今回は、新潟や金沢あたりを制覇してきた模様。。。
 
 
 
ジィジは肝臓ガンで、4回も手術をしていますがどうしても
再発を繰り返してしまいます。今は、何らかの数値が悪い
とゆうことで手術すらできず、クスリで抑えている状態。
出発前の検査では、肋骨に転移していることが判明。
バァバはとても心配して、旅行の延期をお願いしましたが
聞き入れてもらえませんでした。
 
しかも、出発前夜には「なんだか、前回の手術跡が痛い」と
言って座り込んだりしていましたが、
翌朝には「まだ痛いけど大丈夫だろうよ」と調子ぶっこいて
出発しました。
 
 
 
 
 
で、今日、無事に帰ってきました。
バァバはお出かけしていて、私とユキはお留守番だったので
玄関まで2人でお迎えに出ていくと、ユキは予想に反して
1ヶ月ぶりのジィジを見て、にーっこり と笑っていました。
ジィジ 大喜び。
 
「覚えていてくれたのかぁぁぁぁぁ!」 (≧∇≦)
 
ウキウキで近づいてきたジィジ。
その白いヒゲを、ユキは むんず と掴んでグイッと引っ張る!
 
 
 
「いててててて!!!」 (≧д≦)
 
 
 
グッジョブ!さすが我が子よ! (o^-')b
その後も、天使のほほえみで惹きつけては油断させ、ヒゲを
容赦なく引っ張ってましたw 全部、抜いちまえ!
 
 
 
帰ってきたジィジは、手術跡だけじゃなく、お腹全体と背中が
痛いそうです。「俺、もうダメだと思う」などと言っております。
むかむかむか。
だったら、早く帰ってこいやー! (о゜Д゜)」
 
今週また検査に行くので、その時に詳しく診てもらうそうです。
自分の体を大事にしない人って、ほんとムカつく。
病院に行く日まで、イライラしちゃいそうです。。。(。-`ω´-)
 
 
 




 

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2006年10月12日 (木)

むかぁし、むかし。

 
今日は、おばさん(バァバの姉)が来ました。
おばさんは近くに住んでいて、毎月1回 病院の検査がある日に
朝 ウチに寄って車を置いて病院に行き、夕方 またウチによって
車を拾って帰っていきます。
ウチは車庫か!!??? …まぁ、いいけど。
 
 
 
ユキは、おばさんが来た朝も夕方も昼寝をしていて、おばさんが
バァバと話している声で起こされてしまいました。
この2人は、最初は寝てるユキに遠慮して小声なんだけど、
話が盛り上がってくると、ボリュームがガンガンあがってくる。
特に笑い声がヒドイ。ヒドすぎる。やめてくれ。
 
起こされて、うにゃうにゃ と寝ぼけた様子のユキは、
見慣れない おばさんを見てギャン泣き!
抱っこしてあやしても、全く泣きやまず。
私にしがみつきながら、おばさんをチラ見してはギャンギャン泣く。
見なきゃいいのに…。まいったな、こりゃ。
  
 
 
 
 
あまりにも泣き続けるのを心配したのか、ただの野次馬なのか、
チャチャ(飼い猫の1匹)が昼寝していたタンスの上から降りてきて、
にゃーごにゃーご と言うので、ユキを床に下ろしてみた。
 
 
 
じーっと見つめ合う1人と1匹。
 
 
 
ユキが手を伸ばし、チャチャの背中をボンボンたたく。
首をわしづかみにする。
耳にかぶりつこうとする。
全体重をかけて抱きつこうとする。
全ての攻撃を、うまくかわすチャチャ。
 
そうこうしてる内に、ユキは機嫌が直って、おばさんがチャチャに
紐をけしかけて遊ぶ姿を見て、大喜びで2人と1匹で遊びだした。
 
 
 
 
 
 
…我が子を泣きやませるのに、ネコに負けた ( ̄д ̄;)!!
 
 
 
 
 
 
と、軽ぅ~くショックをうけた。
うぬぬ。
こないだまで、ユキのことを「変な生き物」って感じで遠巻きに見てる
だけだったのに、いつのまに仲良しになってたんだ!?
しかも、少なからず、チャチャに母性本能的なものが見える!
ユキと仲良しなのは嬉しいけど…ちょっとライバル!? ←低レベル。
 
 
 
 
 
その後。
ひととおりユキとチャチャと遊んだおばさんが、話してくれた。
 
「ユキちゃんは、ママに似てないわね。
むかし、あなたが小さい時に、ウチで1週間くらい預かったことが
あるけど、ソファーにじっと座って身動きひとつせずに、私や主人の
ことを睨むばかりで、ぜんぜん泣かなかったのよ。
お母さんと離れて寂しいんだろうけど、ちっとも泣かずにいるから
頭がどうかしちゃったのかと本気で心配したんだから。
ユキちゃんはすぐに感情が出るから、ママに似てないね~」
 
 
 
兄がアデノイドで入院した時、母は病院につきっきりになるので、
まだ小さかった私を、父が1人では面倒みきれないとゆうことで、
おばさんのウチに預けられた。
私にも、う~っすら記憶がある。
でも、1週間も、泣かずに、おばさん夫婦にガンつけていたなんて、
小さい頃の私ってば根性あるな。てか、怖いよ、我ながら。
 
おばさん達は心配で、何度も「泣け!泣け!」とけしかけたらしい。
それでも、そんな夫婦をじっと睨むだけで、目をウルませることすら
なかったとか。
1週間後、母がお迎えに来た時、ようやく大絶叫して泣いたらしい。
 
 
 
おばさん、ごめんなさい。 (w_-;
さぞ、扱いづらいガキだったことでしょう。
言われてみれば、なんとなく…そんな覚えもあります。

その後も、おばさんとバァバの姉妹はイモヅル式に話が膨らんで、
私に覚えのない、子供の頃の暴露話に盛り上がっていました。
 
 
 
 
 
教訓:
子供を産むと、自分の子供の頃の話をムリヤリ聞かされること多し。
…あまり知りたくなかった事実が発覚すること、これあり。 
 
 

 

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